近代サンガ史/2005年
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2005年シーズンの軌跡
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的確な補強
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柱谷監督のシーズン最初の仕事は、選手の補強からとなる。
去年の補強では戦力的に十分と思われていたFW陣にチェヨンスを新たに獲得、不安要素として最重要課題にあがっていた、「守備陣の立て直し」よりも大きな補強を行った。その結果、チームとしての力の均衡を失い、選手がよくてもチームが勝てないという現象に見舞われた。
柱谷監督はネームバリューのある選手の獲得を避け、代わりに各ポジションのバランスを重視した補強を敢行、長丁場のJ2を1シーズン通して考えるとこれが正解となる。
京都3大改革(戦術、身体、意識)
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また、柱谷監督は京都に3点の改革を施す。
1つは戦術、去年よりもチームとしての決まり事を増やした。相手を挟んでボールを奪う(サンド)や、前線からの守備をFWにもさせるなど、特に守備面からの改革を多くした。
2点目の改革は身体である。去年柱谷監督は、解説者時代からゲーム後半になると極度に足が止まることを指摘、京都の選手の体力のなさを懸念していた。そのため、90分間戦える体力をつける事を重要課題のひとつとして挙げ、ブラジルからファビアーノフィジカルコーチを招聘し、より効率的な肉体改造を施した。
3点目に行った改革は意識改革だった。特に今年のコンセプトとして大きく掲げたのは、ファールをしないフェアプレー。今までファールをしていた局面で、いかにファールをなくすか。。。
フェアプレーのないところに強いチームは出来得ないという理念のもと、DFはもちろん、全ての選手に徹底させた。特に不必要なカードをもらうような行為には、シーズン中でも処分を課せられた。結果、去年J2で警告84、退場6だったカード枚数は警告51、退場3まで減少し、バイタルエリア付近でのファール減がそのまま失点の減少に繋がった。
柱谷京都の船出、開幕戦〜
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京都はこれまで12年間のJの歴史のなかで、未だ一度も開幕戦に勝利したことがなかった。だが今年は違うはず、と、サポーター達は信じて疑わなかった。毎年のことなのだが、、。
開幕戦はアウェイの水戸戦。かきわけなければならないほど雪が残っていた。京都のサポーターも水戸までの遠征組がいた。水戸とは去年2勝0敗2分だが、今年は新戦力FWデルリスを獲得し恐い存在である。とはいえ京都も、弱点の守備を補強して万全の体制で挑んでいた。絶対の自信を持ってゲームが始まったのだが先制点を許す事になるとは誰も想像していなかった。
前半13分金子剛に先制弾を許すと、同36分に2点目をデルリスに決められた。想像しがたい現実に、オフに描いてたJ1への道が大きく崩れ落ちていった。
だが去年までと違う京都を見せ付けられたのは、後半に入ってからだった。後半20分、パウリーニョが反撃の狼煙をあげると、同25分に田原豊が動転弾、続く34分にはアレモンがゴールを決め、まさかの逆転劇。去年では考えられない夢のような45分だった。京都J1への道は、2点差をひっくり返したこの試合から始まった。
見事な逆転劇で開幕戦初白星をかざった京都は、勢いを止めることなく次々にJ2のライバル達を撃破していった。気がつくと全クラブと対戦、黒星は1つもなかった。
9勝0敗2分 勝ち点29
京都は首位で第1クールを終えた。
不振、スランプ
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暫く京都の快進撃は続いた。 だがその成績は、実力を十分に裏付けるものではなかったのである。。。
やがて各クラブが、当然の如く打倒京都の旗を掲げ、研究をしはじめる。
開幕戦が全てを物語るように、失点はなくならない。
パウリーニョとアレモンの新戦力が主に点を上げていたが、試合を消化するに連れてマークが厳しくなり、苛立つ場面が増える。
徐々に目立ち始めてきた怪我人。
際どいゲームを精神力で乗り越えているという感が否めない試合運びが幾度も続いた。
第3クールに入ると、その様が浮き彫りになる。初の連敗、山形戦、鳥栖戦、、、。
このままでは前半の貯金を使い果たしてしまうのか、、、。すぐ後ろには福岡がついてきている、山形、仙台、甲府、札幌らがそれに続く。京都が失速することで、J2の勢力図は混沌としていった。。
チームの完成形
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だが柱谷京都は一貫して勝利、内容、フェアプレーの基本理念の下、そのプレースタイルを変えなかった。結果、徐々に個々の連携が高まり、戦術も浸透。柱谷サッカーの理解度が深まるにつれて、自ずと勝利と内容が結果としてついてくるようになる。
それを証拠づけるのが9月10日の草津戦。パウリーニョ、星の2得点や鈴木悟のFKなど、あらゆる攻撃を終始浴びせ続けて計6得点、JFLからの昇格組が相手とはいえ、西京極でこれまでにない圧勝を遂げた。
この日を境に次節は湘南に引き分けたものの、その次の試合は札幌戦4−0、山形戦3−0、鳥栖戦には敗れはしたが次節徳島戦は5−1と、接戦をものにしてきた感が強かった京都だが、次第に名実ともに相手を上回る結果が続き、10月22日を迎える。
三度J1へ!
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その日は少し曇り気味だった。少し雨がぱらついた時間もあった。そんな中、紫で埋め尽くされたメイン、Sバック、そしてホームゴール裏。いつもは応援歌に合わせてタオルを振り回すパフォーマンスはゴール裏だけしか見られなかったが、その日だけはアウェイ席以外の全ての席でタオルが回っていた、そんな日だった。
最初は動きの硬く見られた京都だが、徐々にいつものペースを取り戻す。前半42分にパウリーニョが得点。後半になるとさらに勢いは加速し、後半14分には再びパウリーニョが得点。空は曇りに変わりないが、虹が架かり京都の昇格を祝福する。この後1点返されるも、終了直前には美尾が左サイドを深くえぐり、折り返したところを星のボレーで試合を決定付けた。
10月22日、2年間待ちに待ったその日がようやくやってきた。日本のJクラブチームが経験し得るイベントの中で、最も歓喜する瞬間でありながら、最も繰り返したくない経験。
J1昇格。
2003年11月29日、京都は大阪万博でG大阪に5−1で惨敗した。
同時にJ2に降格が決定した瞬間でもあった。
あの日からこんにちまで、京都が歩んできた軌跡を決して忘れてはならない。
代表的なフォーメーション
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キーパーは去年と違い、一貫して平井が守った。シーズン終盤に負傷するまでの間連続出場した。
ディフェンダーは4バック。右サイドバックには大久保、怪我時には鈴木和が入り、守備面にやや不安が残るものの適度な攻撃参加によりチャンスを演出した。
センターバックは鈴木悟、リカルド。PK職人のリカルドと、FK職人の鈴木悟により、本職のディフェンスプラスアルファの力を京都に持たせている。
左サイドバックは三上。強力がライバルが不在の中、モチベーションを保ってシーズンのほぼ大半を出場した。またこの年は京都初得点も記録する。
中盤はダブルボランチと両サイド。ボランチは斉藤と米田がボランチにも関わらずあわせて警告1枚とフェアプレーを保ちつつ京都の攻撃、守備の要となった。
右サイドは星と加藤。星は全体的にプレーをそつなくこなす。クロスや得点力は期待するがまだまだ本領を発揮できるはず。加藤はそのドリブルでの縦の突破により右サイドからいくつもの得点機を演出する。
左サイドは中払と美尾。中払はキャプテンとして京都の選手たちを1年間まとめあげた。また積極的なプレーでもチームをひっぱる。美尾は三上との連携により左サイドを支配、その決定力によりゴール前で美尾がボールを持つと得点の匂いがする。
FWはパウリーニョとアレモンのブラジル人コンビ。この二人のコンビで今年は得点を大量生産した。またその他にも途中出場による田原のゴールや、松田のゴールで何度も京都のピンチが救われた。


京都のいいトコご紹介

